つれづれのおと

ディアマイロックスター

オトトキを観ていろいろ

考えていたら長すぎて、つぶやきじゃなく念仏だよこれ………というレベルになってしまったのでこちらに書きました。

予定では2回観にいくつもりでムビチケ買って、そしたら舞台挨拶つき上映回がとれちゃって、なおかつ応援上映へもお誘いいただいたのでほいほい行ってきまして合計4回観ました。また観たい!映画館のどでかいスクリーンといい音で観たい!しかし諸々あるんだから自重を…と思っていたら吉井さんのお母様は軽々と超えてきたのでさすがだなと思いました。まあペーペーもペーペーなファンなので比べようもないのですが…


はてさて、書いたもののつぶやきにはむかない長さ、でももったいないのでここに供養を。まーネタバレもいいところです。しかし言葉尻とかは違うかもなのでご容赦を。

そしてそして(前提というか予防線が長い)、ほんっとうにファンとしてはペーペーなので、その辺りは大目に見ていただけるとありがたい…です………。

ちなみに多分、先に触れた吉井さんのブログがなかったらここまで考えるきっかけにはならなかったなあ。



監督は、この映画で見せたかったことについて「このバンドは家族だ、ということ」と諸々のインタビューで仰っていた。
でもそれって、まあ吉井さんも映画の中のインタビューで話してるし、2時間強をかけてわざわざ伝えなくてもよいのでは…?と実はちょっともやもやしていた。
けど、合ってるかどうかは別として、自分の中で着地点が見えて「ああああ!」となったので書き残しておく。
いやーすごい。単なる再集結の記録映像じゃない。ちゃんとした「映画」だった。


このバンドは家族。最近家族感が増してる。
部屋の隅にもたれながら吉井さんは語る。本当に血の繋がった兄弟もいるけど、アニーはヒーセのことも兄貴だと思ってるし、俺もアニーのこと弟だと思ってるし、エマもヒーセのこと兄貴だと思ってるし、と。
そんな吉井さんに監督が投げかけた質問。
解散前後にどう思っていたか、メンバーに聞いたりはしないんですか?

監督の別の作品はたった2作しか観ていないのに語るのもどうかと思うけど、それらは両方オトトキと同じく音楽に関するドキュメンタリーで、なおかつ造りが似ている(気がする)ので、その手法を監督が今作でも踏襲しているという仮定で考える。あああでも、ピュ〜ぴるがそうでなかったらどうしよう。ごめんなさい。
上記の2作はどちらも、未知(あるいはなんとなく名前は知っているが詳しいことは知らない)の対象について、外側から追いかけていく過程で生まれたイノセントな疑問について、関係者の言葉や行動からひもといていく形式だ(と、思う)。
そして最後に、監督なりの答えを象徴するような言葉とシーンが差し込まれる。なるほど、と思ったところでエンドロール(そこに流れる映像を、そのひとつの解を持って眺めると、少しだけ涙が出そうなほど感情移入してしまったりする)。

それを今回も使ったとするならば、中盤ですでに「このバンドは家族だ」という言葉が出てきてしまっているあたり、それは結論(というか、監督が示したかった解)ではないし、「このバンドは家族なのか?」ということを追求するための映画ではないはず。
だとすれば、監督は彼らを見ている中で、どんな解を提示したくなったのか。

それは多分、結局のところ「このバンドは家族だ」ということなのだ。

家族だから、一度離れてしまっても、機会があればまた集まることができる。
家族だから、お互い付かず離れず、支えあいながら「keep going」できる。

けれど。
家族だからといって、言わなくても全てがわかる、なんてことは決してない。
アニーさんは髪の毛をくしゃくしゃと梳きながら苦笑する。「兄貴とは(解散前後に、バンドについての)話をしなかったんだよね。それは言わなくても考えてることがわかる、とかそういうことではなくて」と。
それは例えば、吉井さんのお父さんが今の吉井さんについてどう思っているかを知り得ないのと同じだ。
家族だからーー血が繋がっているからとか、長い間近くにいるからとか。
そうは言っても、人間はそれぞれ別の個体である限り、相手の考えていることなんて「外からなんて何もわからない」し、言葉にして伝えなければ伝わらないことはたくさんある。

昔活動していた頃、メンバーに自分の思いを察してほしくて、でも察してもらえなかったのが辛かった。でもそりゃあそうだよね、言葉にしなきゃ伝わらないんだもの。
そんなことを吉井さんは自伝で話していた。
それを知ってか知らずか、監督は吉井さんに聞く。
解散前後にどう思っていたかメンバーに聞く気はないんですか、と。

昔はそれぞれがそれぞれの方向を向くようになり、心が離れていって解散してしまった。それは映像からも(概要は)理解できるし、インタビューでも明言されている。
時を経て再集結した4人。けれど、それぞれの思いを共有しなければ、また同じような道を辿ってしまうのではないだろうか。
だからこそ、あの頃どう思っていたのか、聞く気はないのだろうか。

疑問をぶつけられた吉井さんは答える。
「聞く気はない」
「今の4人の音を聴けばわかる、それが全てだ」
それが映画を通して最後のインタビュー。
そして、ノーカットで4人それぞれを映したRomantist tasteが、最後の映像だ。
つまり、それが今のところの「解」なのだ。

繰り返しになるが、家族だからといって、言外から全てを察してもらえることなど不可能だ。
しかし、逆に、言葉にしなくても伝わる思いというのも、時としてある。
例えば、東京に残ろうとするアニーさんに強い目を向けた昭二さんのように。
例えば、物心ついてから初めて父親のバンドのライブを観た誠くんのように。
もしかしたら、その時の昭二さんや誠くんは、インタビューで語られていたこととは少し違う思いを持っていたかもしれない。けれど、映画の端々にみられる言動や証言に象徴されるように、メンバーはすごく周りの人をよく見ていて、なおかつ大切に思っている。そんな彼らにある種の確信を持たせるくらいには、きっとその言動は説得力のあるものだったのだろう。

全てを理解することは不可能だけれど、家族(便宜上この言葉を使っているけれど、これは血の繋がりという意味だけでなくて、広い意味でのそれです)だからこそ、あえて言葉にしなくても何かを媒介として共有できるものはある。
今のイエローモンキーにとってそれにあたるものが「バンドで奏でる音、そして作り上げるライブ」ということなのだろう。

同じ失敗をしないためにはとことんまで反省し話し合う、そんなやり方もあるかもしれない。
けれど彼らはそれを選ばなかった(少なくとも、表向きには)。
それが正解なのか、はたまた、といったところはわからない。何せまだまだ彼らの花は咲ききっていないのだ。
けれど、怒涛の2016年を経た彼らの「解」は、今のところそういうことなのだろう。

あのシーンだけは何度観ても飽きない、と、編集のために映像を繰り返し見たはずの監督は語っていた。
緊張や戸惑いから始まった無観客のライブ。けれど映画の最後に流れたこの曲では、彼らの表情や動きはやわらかく、楽しげに演奏している様子が伝わってくる。
それを観て何を感じるか。それがきっと、今の彼らから私たちが受け取れる全てなのかもしれない。


余談だけど、それを踏まえると、確かにタイトルは「Show must go on」じゃないよなあ、と思う(だからといって『オトトキ』の意味はまだよくわからないのだけど)。
けれど逆に、Horizonの中の一節「We must go on!」は、あの最後のシーンにふさわしいように感じる。
「続けなければいけない」というよりは「続いていくよ、終わらないよ」というニュアンスにとれるような、あの一文。

外からなんて何もわからないけれど、あのライブの様子を見ていると、確かにこれからも彼らはこんな表情でgo onしていけるんじゃないかなあ(トニーという音楽と人生の大先輩の言葉も踏まえて)、という気になるのだった。


追記
「映画を通して最後のインタビュー」は、食べたいと思うものを出してくれる的なやつでしたね。時系列的に最後、って意味です…
というかあの吉井さんの言葉がすべての答えじゃん!「コーヒー飲みたいんでしょ、ってコーヒー出してくれる」っていうのが!4回目でやっと理解した…(この解釈だって、合ってるかどうかわからないけれど)。
ちなみにあの言葉に関しては、釜山国際映画祭のオトトキ(英題はVibration)の紹介文に書かれてたやつだ、と後々気がつきました。盛大なネタバレしとるやん…しかし観る前にこれを読んでもネタバレとは気づかないか。

まあとにかく、単なるファン向けのムービーではなく、彼らの足跡をきちんとした「作品」に仕上げてくれた監督には脱帽の一言しかありません。すばらしかった。


欲しいものを察して与えてくれる、というのはCDJのシーンに集約されているような気もしました。
困っている吉井さんに対して、真っ先に駆け寄り肩に手を置いて心配してくれる人、何も言わず側にいてさりげなくスタッフとの橋渡しをしてくれる人、そして周りのことを考えすぎて突っ走ろうとするのを冷静に諌めてくれる人。
家族で言えば、それは兄弟というより親の役割のような気もする。
血縁関係がなくとも(もしくは、ないからこそ)そんな風に接してくれる存在を得られるって、ありふれているようで有難い、奇跡だ。
音楽がそれを引き寄せたのだとしたら、きっと「星になった」お父様は否定なんかしないのではないかなあ、と勝手に思うのです。