つれづれのおと

ディアマイロックスター

ピアノひとつで何をするのか横浜

ブルーモーションヨコハマ〜♪ (逆)

に、行ってきました。
ナマpp、2日間、4公演。
 
いやあ、凄かった。
凄かった、その一言しか出なくて、悔しいというかなんというか。
文字通り、言葉では言い表せない"体験"が、そこにはあった。
 
不勉強ながら、わたしは今まで鍵盤奏者同士が共演(競演)するようなライブを観たことがなかったのです。なので比較はできないのだけど、このお2人でやるとなると、こんな感じなのか…!と。
なんというか、お二人とも、音楽家だなあと。もちろん元からのお知り合いで、ライブでもレコーディングでもセッションしていらっしゃるのだけど、今回は鍵盤という同じ土俵で、どちらがバンマスとかもなく、対等な立場で"渡り合って"いる。それぞれが紡ぐ世界観を認めて、かつ、セッションではそこにどう入り込めばよいか、どんな糸をどう編み込めばよいか、相手の編み目をたどって考えて、自分の色と模様を足してさらに複雑で彩り豊かな音楽を紡ぐ、ような。
そのベース、というか使うものすべてが鍵盤であること、それがまたとても(わたしにとっては)新鮮で、けれどどこか懐かしくて、心をふるわされっぱなしでした。
 
そんな体験、できれば記憶にずっととどめておきたい。というか、とても文章では表現できない…けど、最近本当に(と毎回言っている気がする)記憶のこぼれ落ち方が半端ないので、書くだけ書き記しておくことにしました。
レポというよりは、感想ばっかりです。
 
 
Motion Blueは横浜の赤レンガ倉庫2号館の3階。会場と反対側の階段から上ってしまったので、バルコニーを通って行ったのだけど、そこからの眺めがとても良かった。
港に入り組んだ海が見えて、白く浮かぶ雲と船がゆっくりと動いていて、庭の木々と芝生の緑の奥にみなとみらいの観覧車も臨める。港町特有のハイカラでゆったりとした雰囲気のロケーション。暑くなかったらソファでお茶でもしたかった。演者お二方はランチ?したようですがw
 
開場の30分前から物販やります!とのことで、勇んで向かうと、スタッフさんに混じって…というかメインの売り子さんな感じでユッキさんがいらっしゃる。
青のトートバッグを買ったら「(飾りのしゃらしゃらが)革製品なのでツブツブが表面に付いちゃうんですけど、そのうち落ちますので…!」と丁寧にご説明してくださった。確かに皮の屑みたいなやつが付いてしまってたけど、これはこれで銀河みたいで良いなあと思ったり。濃くて鮮やかな青、大好きな色なのでお気に入りです。
 
受付で名前を照合してもらって(というところで色々わたわた連絡したりして皆様方にご迷惑をおかけしてしまいました…)、整理番号のついた札を渡される。1stが青で2ndが白。この配色も素敵。
宇宙船のような、くすんだ銀のトンネルみたいな通路を通って足を踏み入れると、真正面に「motion blue」の文字がバックに光る舞台が。
 
上手にはYAMAHAのグランドピアノ。蓋を開けたところに、クリスマスに使われるようなイルミネーション用の電球で飾り付けがなされている(電気はまだついてなかった)。譜面台の奥にモジュラーシンセ、後から気づいたけどその向かって左側に小さい板さん(Seaboard)。
舞台手前、ピアノから見たら側面に小さなテーブルがあって、そこにエフェクターみたいなサイズと形の機材、あとメトロノームが置いてある。
舞台真ん中の奥に小さなテーブルがあって、そこにノートパソコンとミキサー?が置いてある。すずらんみたいな形のランプがやわらかな光でそれを照らしている。これ、どこかにもあったなあ。1173 studioだったかしら。
舞台下手にはハモンドオルガン、その奥にレスリースピーカー
そして、舞台手前のど真ん中に、ガイコツスタンドマイク。
おお、本当に鍵盤奏者2人だけで演るのだなあ…!と胸が高鳴るのでした。
 
時間になると、ゆっくりと暗くなる会場。
そして突然そこに響きわたる、あからさまに歌謡曲ぽい音楽。回り出すフロア天井のミラーボール。
フロアの下手後方の扉が開き、出てきたお2人。
なんと、ギンギラギンのジャケットを着用していらっしゃる…!!!
あべどんさんのは百が如くツアーのアンコールで着てた、フレディリスペクト(?)なやつ。中にナマピーのTシャツ。そして有太さんは紫っぽい色の、こちらもまた全身ラメラメのジャケット。フロアを通って舞台に上るお2人、ガイコツマイクを真ん中にぴったりくっついて歌う。
 
「街の灯(2日目から『派手な上着』になってたような)がとても綺麗ねヨコハマ♪
ブルーモーションヨコハマ〜♪
電車で2人 来た訳よ〜♪」
 
そしてこの記事のタイトルにつながる。いや、もう、度肝を抜かれました。爆笑したけども。会場全体の、ちょっとかしこまった感じが一気にほぐれました。やられたw
というかアベストテンに続いて、有太さんがこんなことをやってくださるとは思わなかった…w←あべどんさんをなんだと思っているのか
1日目の1stはちょっと遠慮がちに有太さんの左肩の下へゆるく握ったような右手を当てていたあべどんさん。2ndでは有太さんがあべどんさんの右肩にしっかり左手を置いて肩を組むようにしていたのでした(ちなみにそうとうお酔いになられていたらしい)。2日目はあべどんさんのふわふわパーマがちょっと有太さんのおでこにかかるくらいくっついてらした。かわいい。
 
有太さんがガイコツマイクを自分の方に斜めに引き寄せて(この仕草が回を重ねるごとに様になっていくのも面白かったw)、「わた〜しが、おさ〜きに♪」と歌うと「あっ、どうぞどうぞw」とコントみたいに手を差し出すあべどんさん。
有「あべどんと〜」
A「さいとうの〜」
2人「最高の夜を〜♪ あな〜たと わた〜しは 赤いレンガで夢の中〜♪」
ひとしきり替え歌を歌いきると、まだ流れている音楽にのせてあべどんさんが語りだす。
 
A「今日は本日お越しくださいましてありがとうございます」(1日目の1st。かわいすぎた)
まずは斎藤有太が歌います、と司会者の如く紹介。ジャケットを脱ぐ有太さん。
1日目の2ndはそれを受け取って、頭上に両手を挙げて、わ〜〜!と子供のようにフロアを小走りで駆け抜けていくあべどんさんw 2日目の1stでは有太さんに向かって手をヒラヒラ〜とさせて、そのまま後ろ向きに小走りで退場したのでした(あむない…)。
 
 
さて、まずは有太さんのステージ。
1stでは白シャツ(よく見ると模様がついていた、オシャレ)、2ndでは薄い水色?で両胸のポケットの折り返しだけ豹柄になってるシャツ。ジーンズと、VANSのっぽい黒&黒チェッカーの紐なしスニーカー。とてもスマートだった。
ピアノについたらこちらを向いて、毎回「もう遊びは終わりですから。ここからオチはありませんw」と笑ってらした。
2日目の1stでは、用意された楽譜のファイルを見て「これ楽譜違うな?」とキョロキョロ。舞台上のファイルを開くも、これも違うな?と。「困ったなあ…w」と、ちょっとあせりつつ?も先に告知などしている間に、Jメンさんとヨッシーさんが届けてくれる。しかしこのハプニングが、のちのちネタになろうとは…w
 
セットリストは公式さんがアップなさってたので割愛するけど、結構毎回曲をいろいろ入れ替えてらして、そのどれもが素敵だった。
特に毎回最初に演っていらした「夏の日」という曲。イントロの、木漏れ日のようなきらきらとしたピアノの音からもう心を掴まれてしまった。
有太さんの歌声は初めて拝聴したのだけど、いい意味で、某米津さんとかのような現代っぽい青さがあるのにびっくり。けれど確かな力強さも持っている声。
真夏の昼間の道に一人で立っている時のような、日差しがギラついて逃げ水がゆらゆらして蝉の声がうるさくて、それなのにどこまでもしんとしている、あの感じ。暗く涼しい室内にいるのに、歌とピアノがそんな風景を紡ぎ出して、なんだかノスタルジーにかられて毎回涙が出てしまった。この曲を聴きたいがために(もちろん他の曲もとても良かったけど)、アルバムを買ったくらい。音源の方もとても良かった。
 
2曲目、これも毎回演っていらした「ミスムーンライト」。これがまた、モノクロの外国映画のような曲調で、オシャレですてき。歌詞もなんだかそういうストーリーっぽくて、ちょっとどうしよもない感じなんだけど、どこか憎めないような。阿部さんソロの「ドラマ」を思い出しました。いつか音源化してくださるのかしら。
 
ノリの良い曲では「手拍子してもいいんだよ」「歌ってください」とお客さんを誘うw有太さん。背筋を伸ばしながら、踵でリズムを取りながら、軽快に演奏するのがすてき。
1日目の2ndでは「予定になかったんだけど」と、以前この会場で外国人アーティストのサポートを急遽(!)やることになった時に、斎藤の曲もやろうよ!と言われて演った「列車」という曲も。その時も楽しかった、と仰っていらした。急なオファーでもそう思えるってすごいなあ。
 
そして1公演だけ、曲のアウトロから繋げて、インストで「ダニーボーイ」を弾いていらしたのが、本当に素敵だった。
洗いざらしのシーツがどこまでも広い夏の青空にはためいているのをぼんやり見ている時のような、確かな存在があるのにどこか心の切なさを感じる部分をふわりと揺らされるような、そんなイメージ。ピアノに似合う(なんて、偉そうには言えないけど、お洒落という言葉だけでは言い表せないくらい素敵だったのだ)アレンジと、曲の意味とが相まって、なんだかとても夏の夜にぴったりの演奏だった。
 
「去年も同じ時期に横浜に通って、あべどんにマスタリングしてもらったんです。16年ぶりにソロアルバムを出しまして」と。そして「横浜いいよねえ」と繰り返す有太さん。
1日目の1stの最初は「すごい(お客さんから)見られてる…w」とちょっと緊張なさってた?けど、だんだんこの雰囲気に馴染んでいく感じがまた素敵だった。
 
そして途中で「告知していいですか?」と。ぱらりと楽譜ファイルをめくって「あべどんのピアニッシモvol.2が決定しました!」と、先にあべどんさんの告知をなさる有太さんw ご自身のナマピーの告知ももちろん。アルバムを作ったけどそのままじゃもったいないから月一でライブを演ってて、最初はどうしていいかわからなかったけど最近は慣れてきた、みたいなお話をなさっていた。
 
さて、ひとしきり演奏して、ではここで、とあべどんさんを呼び込む有太さん。
2日目からは「尊敬できるアーティストです」と。それを聞いたあべどんさん、今までご自身がついていた、出入口に一番近いボックス席のテーブルに、シャンパングラスを持った腕をついてうなだれるようにしながら「『尊敬できるアーティスト』って…w」と、隣にいたJメンさんに向かって苦&照れ?笑い。
それでも、舞台に上がると(1日目の1stは特に)、「いいよお、いいよお」と有太さんに向かってうんうん頷きながら拍手を送ったり握手したりするあべどんさん。本当に認める時ってこういう言い方をなさるような。ちゃんと聴いていらしたのだなあ。今度は有太さんが困ったようにニコニコ。
あべどんさんがグランドピアノにつき、有太さんはハモンドオルガンへ。
ここでほんの僅かながら談笑タイムがありまして。
 
1日目の2ndでは、有太さんが結構酔っ払ってらして(と、ご自身で仰っていた)、確かここだったと思うのだけど、舞台に上がったあべどんさんを握手したままちょっと引き寄せて「相当酔ってる」と耳打ち。いや、マイクは通ってないですが、こっちにも聞こえてますw
 
2日目の1stでは、さっき譜面が無くて…と言う有太さんに、
A「ふめんがふめいだったのね」
有「譜面が不明だそうです(お客さんに説明w)」
A「俺のもなんか違うよ?」
あべどんさん、自分の黒い楽譜ファイルを手に取る。と、そこには、
A「『NOTE DEATH』って書いてあるよ???」
表紙に貼ってある、白地にあのwフォントで「NOTE DEATH」の文字が書かれたステッカー。なんという仕込み!!w
A「これ俺すごい準備したんだから」
有「忘れてた…w」←あべどんさんがこういうひとだってことを、と思われる
A「(立ち上がって)これ危ないやつじゃないの?(ファイルを床に落として)落ちてるやつじゃないの?」
有「やばいやつじゃないの?w」
A「だいじょぶ、日本語だから。『ノートです(明るい声)』!って」
いやあ笑いました。実はその後もうひとネタあったんだけどもw
そして別のファイルを手にしたところ、中に挟んであった(ちゃんとファイリングしてなかった?)クリアファイルみたいなものをいくつもばさばさと落っことしてしまうあべどんさん。その図ソリストでも見たなあw
少しして気づいたヨッシーさんが拾いに来たのだけど、「気にしなくていいの」と声をかけていらした。あべどんさんにとっては些末事なのでしょうかw
 
2日目の2ndでは、ピアノについて数秒で「なぁんか視線を感じるんだよね!?」と、有太さんの方を振り返るあべどんさん。「いやあ、なかなかこうやって(あべどんさんの背中)見ることってないから」と、有太さん、にっこり。そうだよねえ、鍵盤を弾くひとが自分以外に居ないと、この図はなかなか…などと勝手に納得するわたくし(?)。
 
で、お2人で演奏したのは、「ジャストライク」!音源だとMTRY演奏&民生さん健くんコーラスで録ったやつ。
これがまた、ロックンロール!って感じのノリの良い曲なのだ。最初からお客さんに手拍子を促す有太さん。
「お前と踊っているのさオーイェー!」とか「やりたいことなら尽きないぜ〜」とか、コーラスワークが素晴らしく良い!あべどんさんの声はどんな人のそれとも親和性が高いのが不思議だなあといつも思うのだけど、有太さんの声ともしかり。オルガンとピアノ、音色の違う二つの楽器の音が醸し出すグルーヴも、2人しかいないのにバンドサウンドのような厚みと広がりがあって、めちゃくちゃにかっこいい。回を重ねるごとに、あべどんさんの左脚が刻むリズムが軽快になってゆく。
ソロは互いに「ABEDON!」または「斎藤有太!」と掛け声をかけられた方が奏でる感じだったような。背中を丸めてキラキラしたピアノを奏でるあべどんさん、爪が鍵盤に当たる音も軽快にオルガンを弾き倒す有太さん。1日目の1stは、曲の最後にあべどんさんが両手で有太さんを指して手をヒラヒラ〜っとして、有太さんがシメていたのだった。
立ち上がり、がっちり握手を交わすお2人。爽やかな笑顔で舞台を去っていく有太さん。
 
 
「さあて、俺の出番かあ」
1日目の2ndではこう独りごちていた。おもむろにピアノの側面(舞台手前)にゆっくりと歩いていくあべどんさん。
ちなみに衣装は、1stが黒のロングジャケットに白いVネックT、2ndが黒のジャケットに水色のVネックT。つまり去年のソリストと同じわけですが、髪型とまるめが茶色グラサンで、なんだか伊達男な雰囲気が格段にアップしている。ケーブルネックレスは青か黒、ブレスレットは青と黒を両方左手につけていらしたような。
 
ピアノより手前にあるテーブルに置いてあった本を手にとって、真剣な顔でぱらりとめくる。舞台がやや暗いので、いつのまにか手にしていたマグライトで照らして眺めていらした時も。一体何を…と思いきや、舞台近くのお客さんからクスクス笑いが。後でよく見たらかの有名な写真集、サンタフェ。なんか学者みたいでかっこよかったのに…w今回というかppのミューズは彼女なのでしょうか…
それを片手に、あるいは閉じて(ちなみに2日目の2ndでは挟まっていたポストカード?が落ちてヨッシーさんが拾ってあげてた。そしてそれを見えるようにテーブルに立てかけてらしたw)。
そこからの時間は、息を飲んだまま呼吸を忘れてしまうような、スリリングな芸術の世界だった。
 
・1日目の1st
サンタフェを片手に、ピアノの中を何やらいじるあべどんさん。メトロノームを中に入れ、カチ、コチ、と刻まれるリズムの中、ティンパニを叩くようなバチで、ピアノの弦を叩く。不穏な足音を表す効果音のような低めの音が、なんとなく胸をどきりとさせる。
 
・1日目の2nd
メトロノームと同じくらいの大きさのエフェクターのような機材のスイッチを入れる。と、流れてきたのは「たらっ、たらっ、たらったらったらったらったら〜たらららら♪」と、ピンクパンサーのテーマを歌うあべどんさんの声。会場に広がるクスクス笑い。機材をピアノの中に入れ、ツマミを動かすと、だんだんテンポと声の高さが上がって、ユニコーンのライブのアンコールでおなじみミツバチさんのような声になる。それをまたゆ〜っくり戻して、機材を取り出して、メトロノームに交代。1stと同じように、やや不穏なメロディをバチで奏でる。
 
・2日目の1st
バチを両手に持ち、ピアノの弦を叩くあべどんさん。1日目のややゆったりしたテンポとは違う、木琴奏者のような手さばき。鍵盤を押した時にハンマーが奏でるのとは違う、くぐもったような不思議な音。メトロノームも中に入れていたような。
 
・2日目の2nd
サンタフェを片手に、もう片方の手に持ったバチでピアノの側面を叩くあべどんさん。その後また両手で弦を叩き、中の仕切り部分も叩き、バチの反対側で弦をカリカリとはじく。さながら大きなオルゴールを奏でているよう。
 
舞台のバックにいつのまにか降りてきていたスクリーンに、1日目は等間隔に並ぶたくさんのラインが静かに画面の真ん中を横切っている(時々、まわりに飛沫のようにキラキラと細かい三角形が光る)。2日目はDNAのらせん構造のような、銀河を横から見たような、靄がかった点状の帯。
それがどちらも、あべどんさんの鳴らす音に呼応して小さく波打つ。黒いスクリーンの上でゆらゆらと揺れるそれは、夜の海の波を可視化したようであり、はたまたごくごく小さな生命反応のようでもあり。
 
ピアノの中の電球もいつしか光を放っている。すずらんの形のランプと同じ、昔ながらの黄色くてやわらかな灯の色。蛍の光みたいに、ゆっくりと不規則に点滅している。
 
薄暗い中で行われる一連の…演奏というか、作業というか。
それがなんだか、小手調べというか、調律とはまた違うタイプのピアノのご機嫌伺いというか、そんな感じに見えて、ドキドキした。
画面と、音と、光。ゆっくりと静かな、でもどこか繊細さのあるそれらが合わさると、なんだかピアノが大きな生きもののように見えてくるのだ。光は生命反応、画面の波は電気信号から生まれる鼓動、音はそれぞれの臓器が出すそれをあらわしている、かのような。
本を片手にゆっくりと歩き回り、マグライトで照らしながら"作業"をするあべどんさんは、ピアノに命を吹き込んでいるようで、魔法使いかマッドサイエンティストか、わからないけれどどこか畏怖すべき存在のようで、固唾をのんで見守ってしまった。まあ、手にしてる本はアレなんですけれども…
 
そして、なんというか、ピアノというのは面白い楽器だなあと。弦や周囲を叩くと打楽器になり、弦をはじくと弦楽器にもなる。
もちろんどちらも本来の奏法ではないのだけど(ハンマーが弦を叩いているにしても)、音楽って自由でいいんだ、と、ユニコーンを好きになって真っ先に教わったことを、また改めて背中で示してもらった、ような気がした。
 
ピアノに命を吹き込んだあべどんさんは、おもむろにモジュラーシンセに向かう。
百が如くツアーの開場中に流れていた音。配管室に迷い込んだかのような、空気の流れと時々水滴が落ちるのが混ざったような音。あれみたいな音をベースに、つまみをひとつひとつ微調整しながら、音楽のような、"倍音"のような、機械的だけどなぜか心地よいような音が生み出される。2日目は指揮棒を持ってシンセに向けて動かしながらツマミをいじってらして、勤労ツアーとかで片手をひらひらさせながらソロを弾いてらした姿を思い出した。あと、海を矛で混ぜて島を作った神様の話もなんとなく思い出す。
モジュラーシンセの音にも呼応して、波打つ映像。2日目はそこに、正面からあべどんさんをとらえた映像がぼんやりとかぶさる。
頃合いを見て、そっと椅子に座り、鍵盤に手を置くあべどんさん。
 
ゆっくりと奏でられるメロディが「白い虹」のイントロになる。
よく晴れた朝に…という歌にも呼応して、というか一番敏感に反応して、さっきよりも大きく波打ちだす映像。これがまた、凄かった。
歌のアレンジが、毎回違う。最初は静かに、サビにくるとうわあっと歌い上げる、そんな大まかな流れは同じなのだけれど、細かなニュアンスや緩急のつけ方が少しずつ変わっている。特に2日目の2ndは、Aメロまで全てピアノで弾いて、「ああ ゆるりと」から静かに歌い出していたり。
そしてあべどんさんが大きく歌い上げるとともに、横にゆらゆらしていたはずの映像の波がぐわりと高さを増して、ざばんとこちらへ覆いかぶさるように向かってくる。それこそ白い虹がかかるのを根本から見ているようでもあって、引き込まれて目が離せなかった。
 
曲が終わっても、アドリブ?で演奏は続く。このシームレスな流れに、百が如くツアーのライブ後半を思い出す。
ここでだったか、2日目の1stでは、どこか耳慣れたクラシックのフレーズを奏でていらした。のちに"アヴェ・マリア"だと教えていただいたのだけど、ピアノのフレーズに合わせて板さんからチェロみたいな低めの弦楽器のような音も出していらして、まるで一人で小さなオーケストラを形成しているかのようだった。凄い。一人でバンドをやっちゃうひとは何人か知ってるけれど、それをできるひとってなかなかいないんじゃないかしら…。
 
両日とも2ndでは、そのままピアノが聴き慣れた星屑みたいにキラキラしたフレーズを奏で始める。「欲望」だ。
最初の音源の時よりも声の量と伸びと確からしさが格段に増した、今のあべどんさんが歌うこの曲。それこそ昔誰かに宛てて書いた手紙を、相手の部屋から偶然見つけ出してひっそりと読み上げるような、切ない思いではあるけれどそれがもう自分の一部になってしまったような、そんな歌になっていて、今のあべどんさんだからこそ似合うんだ…!と鳥肌が立った。去年のソリストで聴いたそれとも、ライジングで聴いたそれとも違っていたのだもの。
でもあるいはきっと、その時々によって、この曲は意味や顔を変える。テクニックによるアレンジの違いからくるものというよりは(もちろん、経験やスキルがないとアレンジもできないのだろうけど)、なんというか…人生の中の出来事のとらえ方が、起きたばかりと、それから数十年経ってからだと、少し見方が違ってくるような、そんな変化や意味を持たせられる曲なのだなあと思い知った。それを30歳そこそこで書いてしまうのが凄いのか、はたまたそうやって進化させていけるほど年々音楽家として成長してらっしゃるのが凄いのか…きっと両方なのだろうなあ。
そして一番(これももちろんいい意味で)ゾッとしたのが、1日目の2nd。「抱きしめたくなる…」と歌が終わるか終わらないかというタイミングで左手が板さんに伸び、ギュウウウと急転直下するような低い音が響く。それと同時に照明が暗くなって、思い出の波間に揺られていたのが、いきなり深く暗い海の底に引きずりこまれたような感覚に陥って、鳥肌が立った。
 
途切れることのない波(それも、水面のそれではなく、海の底だけを行き来する水流のような)のように、演奏は続く。
ピアノがだんだんと「R&G〜」のあのメロディを奏ではじめる。「BackGRound」だ。
去年のソリストの時のように、高い空に響かせるように歌い上げるあべどんさん。あの時は高橋さんのコーラスがあったけれど今回は一人。けど、十分に広がりのある、海の上に広がる真夏の空のような、ぱあっと明るい歌だった。
音源よりも少し速いテンポ(だった気がする)の間奏のフレーズが、思わず駆け出してしまうようなキラキラ感にあふれていて美しい。盛り上がる歌と演奏に呼応して、画面の波が大きくうねる
2日目の1stは欲望のそれと同じく、波が画面を超えてこちらに覆いかぶさってくるような迫力。それくらいの大波を生み出すほどの声と音。2ndではさらに、星屑が放射状に迫ってくるような映像になっていて(あんまりいい例えじゃないけど昔のWindowsスクリーンセーバーみたいな。でもあれわたしはすごく好きだったのだ)、曲の持つ多大な威力が耳と目の両方から迫ってきてくらくらしそうだった。それなのに押し付けがましくない、どこか優しくていつまでも目と耳が離せない。そんな"体験"。音楽は耳以外でも"感じる"ことができるということを、生まれて初めて身をもって知った。
 
歌が終わってもまだ演奏は続く。そこにすうっと現れて、真剣な表情でハモンドオルガンに向かう有太さん(2日目の1stでは、あべどんさんさんが無言でフロア後方に向かって手を挙げ、呼び寄せてた)。ピアノの蓋が「A」になってるあべどんさんT、非売品なのか地がグレーのを着ていらっしゃる。
そこでピアノから奏でられたのは、コロコロと転がるような光の粒みたいなフレーズ。「Beautiful day」だ。
これがまた凄かった。この曲も、あべどんさんは歌い上げる。去年のソリストではデッドな音で静かに奏でていたこの曲を、ピアノの旋律とともにとにかく歌い"上げる"。2日目の1stでは「蒼き水晶ぉー↑おー↑!」と二段階上げてきたかと思いきや、2ndでは「どうよーーーどうよ↑ーーーーー!!」と若干叫ぶように歌う。元の歌詞は「そうよ どうよ」だけど、どうよ!!とめいっぱい叫んで、海に?空に?聞いているようにも聴こえて、とてもエモーショナル。けれど全てをかなぐり捨てるような雑さはなくて、どこまでもきちんとした美しさというか、いい意味で自分の地平(単なる"地"ではなく)に足がついているような気がして、だからこそ胸を優しく、けれどしっかりと掴まれてしまう。
そんなあべどんさんをめちゃくちゃに真剣な表情で見つめながら演奏する有太さん。ピアノに向かったまま振り向きもしない背中に視線を送りつつ、そのひとが奏でる音を聴いて自分の音を絡めていく。例えばギターのソロバトルとかユニゾンのようなぶつかり合いやじゃれあいではなくて、冒頭にも書いたけれど、一方があざなったものの目を瞬間的に丹念に見て、ほどいたりすることなく自分の色の糸を縒り合わせていくようで、なんだかものすごく芸術的にハイレベルなことをやっていらっしゃるのでは、と震えてしまった。とにかく、お二人それぞれの青い炎のような静かな気迫に圧倒されてしまった。
だんだんだん、だん、という最後のフレーズを弾き終わり、だーーーっと鍵盤を叩くお2人。初日1stの最後はあべどんさんが有太さんを両手で指してシメてもらってた。
ふわっと照明が明るくなり、「斎藤有太!」「ABEDON!」と称え合うお二人。そこでやっと、引きずりこまれた海の底から、いつのまにか晴れ渡る浅瀬の波打ち際に戻ってきていたような感覚をおぼえる。(もちろんいい意味で)ずっと詰めていた息をほっ、とつきながら、我に返ったように拍手するわたしなのだった。
 
またゆうゆうとフロアを歩いて去って行かれるお二人。
鳴り止まぬ拍手の中、両日とも2ndはアンコールがあった。有太さんがオルガン、あべどんさんがピアノに座る。
 
2日目は確かここで有太さんが通りがけにサンタフェをチラ見して「これかあ」などとあべどんさんに話しかけてらしたw
そしてまたさっきの「NOTE DEATH」wを手に取るあべどんさん。
A「(フロアに見せて)"ノートです"!日本語だから。拍手しない奴は一人一人名前書いてくからな」
有「怖いよねえ、俺がさっき楽屋にアンチョコを置いてきちゃったんだけど、その後『俺もなんか違う』ってw」
ここで演奏が始まるかと思ったその時、有太さんが一人でおもむろにオルガンを奏でだす。聞き馴染みのあるイントロ!
有「ハッピーバースデートゥーユ〜♪ ハッピーバースデーディアあーべど〜ん♪」
と、下手から運ばれてくるケーキ。バックのスクリーンにはあのモノクロのアー写にハッピーバースデーの文字。
ピアノの椅子に座ったままうつむくあべどんさん、グラサンを取ってタオルで顔を拭き「はずかし…w」とポツリ。これがもうなんなのかってくらい最強に可愛すぎた。さっきまでなんなら畏怖すら感じてたんだけど、この素でこぼしたような一言は最高に可愛かった…
観念して(?)ステージの真ん中でろうそくの火を吹き消すあべどんさん。と、有太さんが「もう一人お祝いしたい人が」と、またもやハッピーバースデーを奏でだす。コールされた名前は「吉田くん〜♪」だったようなw
去年に引き続きヨッシーさんもお祝い!バックの画像も、アー写の右上に何かをかじってる?ヨッシーさんの写真がコラされた画像になっているw ずーっとそれを下手の端っこで小さくなって聞いていて、曲が終わると照れるというか恐縮しまくりながら出てきて、ケーキのろうそくの火を吹き消すヨッシーさん。本当にいつもありがとうございます、これからもどうぞよろしくお願いします…!(何様)
そしてこんな風にスタッフさんも含めてお祝いする…というか、職業人として対等に見て認めていらっしゃるところ、改めて素敵だなあと思うのでした。
 
2日目はさらに、じゃあアンコール!とピアノに向かったあべどんさん、「赤い靴〜は〜いてたら脱げた〜♪」と一節歌い上げ(後で調べたら嘉門達夫さんの歌らしいw)、そのまま立ち上がって去ろうとするw いやいやいや、みたいになる有太さんとお客さんにすっとぼけたお顔を見せて、「ダメ?ぶぶー?」と、両腕を胸の前でクロスするあべどんさん。いや可愛すぎるから(当日2回目の身悶え)。
それを見た有太さんが「エーックス?w」と軽いアクションつきで真似すると、お客さんから\エーックス!/とレスポンスが。「なにその一体感!?ぶぶー?エーックス!」と世界一ゆるいC&Rを要求してくるあべどんさん。子供みたいでとっても可愛かったw
 
さて、といった体で再度ピアノに向き直るあべどんさん。スッと短く息を吸って歌い出したのは、
「猫の手さえも貸したいくらい」
うわーーーーー!!!!!「開店休業」だーーーーー!!!!!
こーれがまた!とても!!よかったのです!!!
リングサイドのツアーファイナルで健くんがちょっと歌ったのとも、見事なアレンジでABE&OKUDAが歌い上げたのとも、ユニコーンでフェスで演奏していたのとも、そのどれとも違う歌。というかわたしはあべどんさんがメインで歌いきるバージョンをちゃんと聴いたのはこれが初めてだったのだ。風花雪月のように、弾むような歌い方をするAメロは健在。そこに軽快ながら優しいピアノとオルガン、有太さんのコーラスが寄り添って、初夏の日差しのようなやわらかな明るさが醸し出される。
なんというか、欲望でも思ったけど、この曲ではさらに「今だからこんな歌になる」といった雰囲気で、とても良かった。バンドの音源はもちろん、ソロのそれも繰り返し聴いたけれど、なんだろう、今まで聴いたどれよりも"確からしさ"があったというか。歌詞だけ読めばどうしようもないヒモ男みたいなイメージが浮かぶんだけど、ふたつの鍵盤の音にのせて昔よりはるかに声量も多く伸びのある声で歌われるそれは、ストーリー性よりも"いつもそばにいるだけだけど愛してるよ"というワードが胸に迫ってくる、そんな強さと優しさを持っていた。例えば寄生しているw恋人とか、結婚したばかりの相手とか、そういう人に向けて言っているのではなくて、なんというか…壮大かつ自意識過剰が過ぎるけれど、あべどんさんの生み出す音楽が、というように聴こえてしまったのだ。勝手な解釈だけれど、折にふれてあべどんさんの音楽に、音楽に向かうその姿勢に、背中を見せてもらっている気でいる自分にとっては、胸がぎゅーっとするようなあたたかさに満ちた演奏だった。
1日目のシメはあべどんさんがお尻で鍵盤に乗りw、それを見た有太さんも遅れてお尻で鍵盤に乗っていた。
2日目は最後のフレーズを「そんな日には有太とそうね横浜にでも〜」と替えて歌い("有太"って呼んだ!となぜかドキドキするわたくし)、おしまい。椅子を離れると、ステージ中央で「よかった!よかったよぉ!」と両手を上げて回りながら笑顔で飛び跳ねるお二人。おもちゃみたいでこれまた可愛かったw達成感も、ホッとしたのもあったかしら。とにかく晴れ晴れとしたお顔でした。
 
 
そんなこんなで、素敵な、楽しい、けれどそれだけでは終わらない、芸術的で真摯な演奏の饗宴2日間が終わったのでした。
まとめみたいなものは冒頭に書いてしまったけど、とにかくこれまでは本当に、美しいなあ、楽しいなあ、で追いかけてきたあべどんさんの背中が、少しだけ畏怖すべきもの(繰り返しますが、いい意味で、です。どこか崇高で異次元的であるというか)に見えて、またもや違うお顔を見せてくれるのか…!とドキドキした2日間でした。
それはもしかしたら、これまでの経験がそうさせたのかもしれないし、あるいは新たな興味や会得した知識技術によるものかもしれないし、有太さんとの"渡り合い"によって生まれたものなのかもしれない。
神戸でのピアニッシモには参加できなかったのだけど、写真とかの断片的な情報から察すると、多分横浜のそれとはまた違ったのだろうなと。もちろん共演者の有無や待ち時間の違いもあるけれど、それだけではない何か。さて、それはなんなのか。
 
去年のソリストではスタジオの一角を観せてもらったような気持ちになったけれど、今回はなんだか、音楽が生まれる瞬間、を可視化して観せてもらったような気がしています。
楽器の調子を見て、息遣いを合わせて、その場その場で生まれたアイデアとその日その時の雰囲気をも合わせて、曲を作り上げ、アレンジしていく。アイデアに息を吹き込んで音楽にする、または音楽で世界を創り出す様は、繰り返すけれど本当に神様のようだった。
でも、ピロウズの曲ではないけれど、自分の頭の中では誰だって自分自身が王様であり神様で、触れて感じて吸収し、自分の中にあるものと融合させて生み出す、そんな作業をきっと誰しもがおこなっている。あべどんさんの場合はそれが音楽であり芸術で、なおかつそれを頭の中だけでなく他の人も触れられるように外へ具現化して生み出せる力をお持ちなのだなあ、と、改めて、その創造性にこうべを垂れるしかなかった。
そしてこれは多分だけど、そんな作業をおこなっているからこそ、二度と同じ演奏はないだろうし、できない。それはつまり、ライブが"LIVE"と称されるが如く、音楽というものが実体のない芸術で、生き物のように同じ瞬間を生きることは二度とないものだからかもなあ、と思うのでした(まあ、生き物が生み出すものだから、当たり前かもしれないけど)。
もちろんCDとかを繰り返し聴けば同じ演奏が聴けるけど、多分それを流す機材や状況や受け取る側の気持ちによって、きっとその都度、形を変える。そしてそんな"生き物"と対峙するには、それなりのパワーも必要である。それを改めて実感させられたような気がして、身が引き締まるような思いでした。
 
それこそ二度と同じものはない、だから全てを見聞きしたい。そうも思うけれど、なんだかもしかしたら、その日その場に居合わせた時が聴き時でもあるというか…うまく言えないのだけど、ライブと自分のタイミング(休みやチケットが取れたか否かとかも含めて)が上手く合った時だからこそ出会える体験というか。人と人との出会いもそうだけど、その日その場所そのタイミングで会えたからこそ仲良くなれたとか、生まれるものがあったとか、そういうのと同じような気がしました。
だからきっと、いつどの公演に行ったとしても、何回繰り返し行っても1回しか行かなくても、その時の受け止める自分が"生きる"ことをできていれば、きっと同じくらい、心を震わされると思う。感動に上限があるとかそういうことじゃなくて、充足するかどうか、というか。多分相手も自分も(そして芸術も)生きているって、そういうことだ。
生きてりゃきっと会えるから、生きてりゃなんとかなるだろう、そんなフレーズを思い出すような公演でした。
 
まあ、とか偉そうに言いつつもやっぱり原始的なところでというか、少しだけお洒落をして、会えたお友達や他のお客さんと美味しいものを飲み食べしつつラグジュアリーな空間で音を楽しむ、という体験だけでも、毎度ながら本当に楽しかった。とても贅沢な経験をさせてもらっている、自分を大切にさせてもらえる(お洒落をするというのはわたしにとってそういうことなので)、そのことだけでも十分に有難く思っております。
 
 
最後に。
1日目の2ndでだったか、有太さんが「次(のナマpp)は決まってないんですけど、阿部くんと相談します」と仰っておられまして。
2日目には「次は決まってないんですけど、俺は楽しかったので。次があったらいいなと思うので俺がABEDONを説得しますw」という、頼もしいお言葉も。
「この歳になってこんな楽しいことがあるのはミュージシャンならでは」と、ピアノの前でお話されていた有太さん。あべどんさんもすごく有太さんをリスペクトしていらっしゃるのを感じたし、観ているこちらからしてもとても素敵な共演なので、この機会を楽しいと思ってくださったこと、すごく嬉しかった。
あべどんさんは「この2人でやるのは今年最後なんですけど」と仰っていたけど、ぜひともまた、このお二人の芸術的な邂逅を観聴きしてみたい。それもまた、生きてりゃきっと会えるから、の気持ちで、音源を聴いたりしながら次回を待ちたいと思います。