つれづれのおと

ディアマイロックスター

【再録】太陽がかけた夏~RSR2015、「ABEDON+OT(from ユニコーン)」の記憶

 再録その4。2019年11月のもの。

 これは何というか、今までのどれより(どれもそうだけど)ブログでやれ的な内容であるような…。全部そうなんだけどこれはことに、わたしのほぼ真っ黒な色眼鏡を通した文章なので、その辺をご承知おきいただければ…。

 あの年は本当にフェスもライブもほっとんど行ってなかったのですが、そのうちの1本がこれて…。正直もう記憶が薄れるどころかほとんど彼方に飛んでってしまっているのですが、あの肩ポンだけはGIF動画のように脳裏に焼き付いています。音楽というツールもそうだけど、言葉なしに共有できるものがある関係ってすごい。そう思ったのでした。

 確かこの年に公式にライターさんの書いたレポというか記事が出てて、わたしもまだ記憶が薄れないうちに書いておきたいと思った覚えが。なお念のため述べておきますが、対抗したかったとかそういうのは一切ないです…恐れ多すぎる…。

 あのステージ、いつかフルで映像を見てみたいものなのだけど…円盤になったというだけで御の字も御の字すぎるか。でもこれを収録してくれた心意気に、勝手ながら感謝です。

 

 

※※※

 

 

 「RISING SUN OT FESTIVAL 2000-2019」、略称「RSOT」。2019年12月に発売される、ライジングサンロックフェスティバルにおける奥田民生の軌跡を振り返る映像作品だ。
 その発売がアナウンスされた時、真っ先に収録内容をチェックしてしまった。もしやあの場面がもう一度見られるのでは、そんな期待からだ。
 2015年、SUN STAGE、ABEDON+OT(from ユニコーン)。
 ラインナップにその文字列を認めた時、脳裏に鮮やかに…と言うにはあまりにもどんよりとした、夏だというのに寒々しささえ感じるあの日の空がよみがえった。
 数年がたってもなお心に焼き付いているあの体験を、映像を見る前に今ひとたび振り返ってみたい。

 

 うつろっていく日々の記憶の中で、その場面だけはいまだにありありと思い出せる。昼休みに何気なく開いたスマホの画面、はたしてその文字はそこに踊っていた。

 

ユニコーン川西幸一脳梗塞

ユニコーンのフェス出演はキャンセル」

 

 周囲に流れていたTVの笑い声や会話が、突然やけに遠く無慈悲に響く。比較的軽症である、そのたった数文字の情報に、命は取りとめているではないかと動かない頭で無理やり考える。けれど、その病気がその後の生活――ことに、ドラムのように手足をバラバラにリズム良く動かさなければならない、パワフルさと繊細な感覚が同時に要求される楽器の奏者へ及ぼす影響はいかばかりか。考えても仕方のないことがぐるぐると頭と胸の内を渦巻き、目の前が暗くなり、その場にうずくまってしまいそうだった。
 ああ、メンバーいち明るく元気なあの川西さんが、ドカドカと大きなバスドラムを打ち鳴らしながら華麗なスティックさばきを魅せる川西さんが、なぜ。
 フェス出演はキャンセル、それは仕方のないことに思えた。バンドの要であるドラマーがいないのだ、しかも解散前に脱退したのとは訳が違う。
 メンバー達もベテランであるゆえ代理のドラマーを立てたとしてもきっとうまくやるだろう、けれど彼らはそれを選ばなかった。
 その夏は個人的に忙しく、それでもユニコーンが出るからと、フェスの中でもライジングサンロックフェスティバルの2日目だけはチケットをとっていた。目当てのアーティストがキャンセルだとしても、チケットが手元にあるならば参加したい。そう思いながら眺めていたホームページに、ある日突然情報が追加された。

 

 「出演キャンセルとなったユニコーンに代わり、ABEDON+OT(from ユニコーン)の出演が決定しました」。

 

 目を疑い、何度も読み返した。ABEDON、と、OT?たった2人で出演するというのだろうか。
 この前年、ユニコーンはリリースしたアルバムと同名の「イーガジャケジョロ」をタイトルに掲げてツアーを行った。始まる前に阿部義晴ABEDONへと芸名の変更を発表し、それに伴い他のメンバーも違う名前をつけようという話が持ち上がり、奥田民生はソロでよく呼ばれている「OT」を衣装のツナギに背負って歌っていた。その名残のネーミングなのだろうが、果たして2人だけで一体何を演るというのだろうか。
 これはなんとしても目撃しないとならない、そう固く心に誓った。

 ライジングサンの開催前、別のフェスにも出演した"ABEDON+OT(from ユニコーン)"。参加した人たちの話を聞くと、どうやらその年にソロツアーを行っていたABEDONとそのバンドメンバー、THE RINGSIDEを加えた5人で演奏したということだった。THE RINGSIDEには元から奥田も参加しており、卓越したプレイヤーの揃った"バンド"によってユニコーンの曲も演奏されたようだ。
 なるほど、そういうことか。そりゃあたった2人の急ごしらえで、ユニコーンが出演するはずだったあの大きなステージに立つのは、いくらベテランであってもなかなか難しいはずだ。その年のABEDONのソロツアーには参加できなかったこともあり、北の大地の大舞台で観られることが楽しみになっていた。
 そう、そんな軽い思いでいたのだ、その時までは。

 

 日が傾きかけたライジングサンの会場は、早くも肌寒くなっていた。レインウェアの裾を引っ張り、時折膝を動かして暖をとりながら、ステージの前に並ぶ。両サイドには一つずつモニターがあり、ゴミの分別や注意事項などが代わる代わる映し出され、そして時折NEXT ARTISTの文字列が現れる。期待なのか不安なのか、なんだかわからない感情がやたらと胸を渦巻いて、自然と唇を噛みしめ、息を詰めてその時を待っていた。
 定刻、アーティスト名が大きくモニターに映し出される。歓声が上がる中、メンバー2人が出てきた。
 …2人?そう、たった2人。
 舞台の手前まで来た2人――ABEDONと奥田は、横に並んでおどけるように両手を挙げてみせる。そうして楽器のスタンバイを始めたABEDONはトレードマークのフライングVを抱え、奥田はドラムセットにつく。
 少しだけこちら側に体を開きながらも、ドラムに向かってABEDONが奏で始めたのは、それまで聴いた中で一番テンポの遅い、けれどあまりにも聴き慣れたフレーズだった。
 ありえない、その5文字だけが真っ白になった頭の中で点滅する。程なくして奥田がドラムを叩き始めた。これまた聴き慣れたリズムだ。彼らが再始動する前から耳にする機会が一番多かった、恐らく今でも彼らの大きな代名詞の一つである曲――「大迷惑」。
 「ちゃ~ちゃちゃっちゃん!」という歌声に目を向けると、ABEDONがオーケストラの音を口で歌っていた。それを合図に、普段この曲ではハンドマイクの奥田が、ドラムセットに取り付けられたマイクで歌い出す。「町のはずれで シュヴィドゥヴァー さりげなく」…周囲から歓声があがった。観衆はみな、おそらくこの時点でなんとなく気付いていた。これは掴みでワンフレーズだけ演ろうとしているのではない、フルで一曲演奏するつもりだ。それも、2人きりで。
 普段はキーボードで奏でているはずのフレーズをABEDONが歌いながらギターをかき鳴らす。お遊びのように見えて、どこまでも正確でツボを押さえたフレーズの選び方に息を飲む。「大迷惑」はバンドサウンドとオーケストラを融合させた曲で、2人だけでは到底奏できれない音がこれでもかと入っている。けれどその中でも「大迷惑」らしさを失わずに演奏するにはどのフレーズを歌えば良いか、本能的に理解し計算しながら歌っているように見え、可笑しさなどこれっぽっちも感じなかった。
 自然に拳が振り上がる。左右と背後からぎゅうと圧力を感じる。ああ、観なくてもわかる、聴衆がどんどんと増え、そして盛り上がっている。その事実にどうしようもなく胸が熱くなり涙がこぼれたものの、それでもサビに合わせて「だ!い!めいわく!」と叫んでいた。周囲とともに。
 普段はパワフルな歌唱を聴かせる奥田はといえば、後半になるにつれ顔が下を向き、歯を食いしばって眉根を寄せているように見えた。それもそのはずだ、日本のロックアーティストの中でも屈指であろう声量を活かしたこの曲は、きっと歌だけでもかなりの体力と肺活量が要る。それをほぼ一曲を通して左右の手足をフルに使うドラミングとともに歌うのだ、いくら彼であっても必死にならざるを得ないだろう。普段のライブやレコーディング風景では半ばふざけて苦しそうな顔をしてみせる奥田だが、ここでわざとそんな表情をしてみせるとは到底思えない。
 そしてABEDONは完全にオーディエンスに背を向けてドラムセットに向かい、身体でリズムをとりながら演奏していた。普段はそれこそ、ひとたびキーボードブースを出てギターボーカルに転じると、のびやかなシャウトとはじけたパフォーマンスで客席を盛り上げる。そんな彼があんなに長い間こちらに背中を見せていたのは、それこそ初めて観たかもしれない。
 「とぼけてる顔で実は がんばっている」とソロで奥田が綴った歌詞の如く、普段はそんなそぶりを特に見せない2人が、"必死さ"を隠さずに演奏していることが、ひどく新鮮で、なおかつ胸が詰まった。2人ががんばればがんばるほど、聴衆が盛り上がれば盛り上がるほど、不在がありありと感じられるのだ。ハードに響くギターが、美しいハイトーンのコーラスが、キーボードで奏でられる様々な音色が、のしのしと歩きながら聴衆を煽るボーカルが。そして、重厚なキックと弾けるようなシンバルで曲の中を疾走していくドラムが。
 「もうメンバーが3人いたらユニコーンを名乗っていいことにしよう」。再始動した2009年にメンバーはそううそぶいた。それはおそらく、"バンドで居なければならない"ことがストレスフルであった解散前の状況をふまえ、冗談でありながらもいい意味で「無理はしない、バンド活動にとらわれ過ぎない」という宣言でもあったのだろう。

 けれどというかやはりというか、メンバーが1人でも欠けては(演奏はできるが)"ユニコーン"は成り立たない。恐らく発言元であるメンバーが一番わかっていたこの事実を、身をもって知らされたような気がした。
 ただ、この時のABEDONと奥田の演奏は、それを補っても余りあるくらい、2人で演っているとは思えないほどの迫力が感じられた。それはもちろん、普段はとぼけた顔の下に隠している2人の気迫が、そしてミュージシャンとしての経験と実力が、ステージの上であらわになったからであろう。
 それに応えて"この場を、音楽を、楽しみたい"という思いが共有されたからこそ、聴衆は盛り上がっていたのだ。その圧倒的なパワーに、感服するほかなかった。
 遂に演奏が終わり、観客は惜しみない拍手と歓声を2人に送る。ドラムセットからよろよろと出てきた奥田がABEDONの肩に両手をもたせかける。ABEDONが労うかのように奥田の背中をポンと叩き、それ以上何も言わず2人はめいめいに次のスタンバイを始めた。その、演奏とは一転して一見クールともとれる光景に、さらに胸が熱くなった。
 文字や言葉で事情を説明し謝ることならいくらだってできる。他のバンドメンバーは「大迷惑」の後からステージに出てきていたが、最初から全員で演奏することだってできなくはなかったはずだ(実際、その後フルメンバーにより、ユニコーンの曲の中から『WAO!』と『服部』が演奏された)。
 けれどそうはせず、たとえ足りない部分があったとしても、初っ端を自分たちの代表曲のうち盛り上がるナンバーで、なおかつ「from ユニコーン」のメンバーだけで演奏する。それが彼らなりの、今回のキャンセルに対する落とし前の付け方であったように感じたのだ。
 どこまで格好いいのだろう、この大人たちは。すっかり冷えてきた夕方の風に上気した頬を撫でられながら、いつのまにか握っていた拳が痛むのを感じていた。
 

 それから数ヶ月後、川西幸一はEBIの50歳記念イベントで見事復活を果たした。そのステージ、そしてその翌年のツアーではドラムセット脇にウォーターサーバーが設置され、あまつさえ会場にはコラボしたサーバーの企業ブースが出来ていた。ここまで自分たちをパロディ化するのか、と毎度のことながら驚いた記憶がある。しかしやはり彼の不在はバンドにとって大きいことだったのだろう、ライブ中に川西に水を飲むよう促すメンバーの表情は、心なしかいつも冗談を言い合っている時よりも真剣に見えた。
 ロックが日本で浸透してから数十年が経ち、結成やデビューなどから30~40周年を迎えるアーティストもここ数年増えている。それだけ長い間活動を続けていれば、予防線をいくら張ったとしてもアクシデントが起きないわけはない。アーティストのみならず、生きていればそんな課題がいくつも出現するが、そこにどう対処するか、そこにこそ人間性が表れるというものだろう。
 2015年、"らしさ"を失わず、自分たちの活動の核である音楽をもって聴衆に返した彼ら。青い炎のような静かな情熱が、スタッフやオーディエンスに対してだけではなく音楽そのものに対する誠意が、彼らにしては珍しく、限りなくダイレクトに伝わってきたあのステージは、本当に見事と言うほかなかった。
 それを映像で追体験できるのが今から楽しみだが、それと同時に少しだけ背筋が伸びる。さて、あれから4年たって、自分はあの時の彼らのように、向き合うべきものに真真剣に向き合うことができているだろうか?
 (…そんな堅苦しいこと考えずに楽しんでよ、音楽なんだからさ)

 などと、肩肘を張っていると、苦笑する誰かたちの声が聞こえてくるようでもあり、心の中で握りしめていた拳がゆるむような気になる。あの時、頰を撫でていった北の地に吹く風のように、ふんわりと。